自己紹介を名目に人生を少し振り返る
最近めっきり放置気味だったことを思い出し、せっかくなので何か書きたい。けど設定とか何も覚えてないしとりあえず適当に書ける自己紹介をあらためて書き直す事にした。
人生で最初の記憶
人の最初の記憶ってだいたい3歳位って聞いた気がするんやけど、自分がはっきり覚えてる記憶もそれくらいで多分幼稚園生の頃だと思う。キリスト系の幼稚園でご飯の前にお祈りを捧げるんだけど、そのときに友達と遊んでて、先生に腕掴まれてしこたま怒られた記憶。ここまで鮮明なら多分実際にあった出来事なんやと思うけど人って怒られた出来事とか恥ずかしかった頃って忘れんよね。
神童と呼ばれた小学生時代
小学校の時は成績がダントツトップで、特に勉強しなくてもテストで100点は当たり前やったしこんなもんで50点しか取れんって友達見て、よっぽど話聞いてないんやなコイツはって思ってた。まあ地元はドーナツ化現象が激しくて若い子が全然おらん地域で、小学校の同級生も18人しかおらんし、とんでもない井の中の蛙。でもこのときにずっとテストで満点をとっていた経験が大人になってからの自尊心の高さに繋がっている気がする。
あとこの頃に犬を飼ったのと、動物のお医者さんって漫画を読んで獣医さんになりたいと思った。動物のお医者さんは少女漫画枠やけど男が読んでも面白いから是非読んでほしい。

特にいい思い出のない中学時代
そんなこんなで賢いまま進学した中学校のテストで俺は学年1位をとった。まあそれなりに勉強はしたけど、やっぱり俺は賢かったと思う。よく言う地頭がいいっていうタイプなんかな。自分で言うのもアレやけど話を聞いて理解する力は高かったし理系科目も得意やった。ただ国語のテストは毎回微妙で足を引っ張ってたから読解力(漢字合ってる?)はあんまり高くなかったんかな。俺自身はその回答に納得してたけど。
この時の同級生にロシア人のハーフの子がおったんやけどこいつがとんでもない奴で破天荒やった。面白いやつやったんやけど一緒におると悪影響があると判断したのか、周りはあんまり俺と接触させたがらなかった気がする。ここで俺は真っ当に生きようと思ったのかもしれない。今でも割と安定思考ではある。
しかし、だんだん勉強しなくなっていき、気づけは成績も微妙な感じになった。結果的に県内トップの高校に進学したんやけど、塾で集計した成績やと塾内で最下位合格。その年に発行された受験の参考雑誌みたいなやつに載ってたボーダーには入ってすらなかった。超ギリギリ合格。
常に底辺だった高校時代
さっきも書いたけど、俺は元々の志望校だった高校にギリギリで合格。その高校は例年入試の合格最低点が7割5分くらいっていう超ハイレベルなところだったけど、俺の受けた年は難易度が劇上がりして俺はこの点数を取れた自信が全くなかった。合格発表まで怯えた日々を過ごしてたけど、なんとか合格。成績を開示したら結果は325点で、例年なら余裕で落ちてる。当然最下位ぐらいで入ってるから周りはみんな優秀。東大京大旧帝大にバンバン行くし俺の高校の親友は医学部に進学した。そんな中で完全に腐ったみかんとして、成績の悪い奴ら同士で腐り合っていた。と言っても悪さをするわけではなくただ遊び呆ける毎日。これは俺の人生でとても楽しい思い出になっているので良かったと思う。現役のセンター試験は志望校なんかとてもじゃないが目指せない点数だったし、2次試験の時は肺に穴が空いて入院して1年浪人した。
全く勉強しなかった浪人時代
はれて「浪人生」という実績を解除した俺は、まあ1年浪人したらどっか受かるだろうと言う気持ちで全く勉強してなかった。周りの友達と「現役で大学に行ったやつは2度と浪人生を体験できないんだ」なんて冗談も言ってた。それでも周りは大学を楽しんでいる中陰鬱とした予備校で将来を憂うのは結構ストレスだったのか精神的に参ってたところもある。
自分がハゲてるんじゃないかと思って薄毛クリニックの無料診断を受けたこともあった。18歳なのに。結果として何もなかったんやけど、自分がハゲてるんじゃないかという不安は多感な若者の感情をおかしくするには十分でハゲがバレると思い(ハゲてないけど)半年間美容院に行けず髪を切れなかった。2度目のセンター試験も志望校を受けれるほどではなく志望校を変更した。人生ではじめての挫折はここな気がする。自己採点した日の夜は不甲斐なくて部屋で泣いた。
行きたくもない大学へ進学
というわけで俺は滑り止めで立命館大学に受かってたんやけど、理系の私立は学費が高い。そこで俺は国立の志望大学のランクを落として受験した。結果、手応え的にはここも多分ギリギリ合格。これがまー田舎にある大学で、そこそこいい大学ではあるんやけど行きたかったところじゃないし、落ちてもいいやと思って受験した。それでも合格発表は緊張したし受かってよかったと思った。親も国立に行って欲しかったみたいだし。ただやっぱり行きたい大学じゃなかったし、俺は腐ったみかんから腐りきったみかんになっていた。1年の時は友達を作る気もなかったしサークルも入らなかった。バイトで金を稼いで、長期休みは実家に帰省して地元の友達と遊ぶ。世間の思い描く大学生のイメージとはかけ離れていた。そんなこんなでまあ2年になる頃には友達も増えてそれなりに楽しい生活を送っていたきがする。
それでもここで悲劇が起きた。風邪から熱中症になって慢性上咽頭炎という厄介な病気になった。このブログではじめて見る記事がコレになる人はほとんどおらんと思うから解説は別の記事でするけど、これが大変で一時期は自殺を考えたりもした。今はしっかり復活してるけど、体調はどんなに良くても慢性上咽頭炎になる前の80~90%くらいかなってところ。それでもだんだん良くはなってるし、同じ病気の人も希望は持ってほしい。
ついに大学院生に
まあこのブログを書いてる時点では大学院生なわけやけど、もともと地頭が良かった俺は人生で必死になって勉強した思い出はほとんどないし、大学受験すら適当に受けてそこそこの国立に行けたわけやから真剣に勉強する意味がわからんかった。まあ今となっては受験勉強してなかった事に後悔も多少はあるけどね。
そんな俺が人生で1番勉強したなっていうのが大学院の受験勉強。大学院なんてその大学の学生なら全員受かると思ってたけど俺の学部は内部から30人受けて4人落とすという鬼畜の所業。1割以上落ちるからね。大学受験はみんな別々の志望校だからライバルって感じはないけど、大学院は今まで4年間仲間だった奴らが急に敵になる。まさにバトルロワイヤル。だから俺はその期間必死に勉強した。朝8時から夜11時まで勉強するなんて昔の俺では考えられない。これでも同期たちの中では短い方だったと思うし、合格できたのは出た問題が良かっただけ。成績開示はしてないけど下から数えた方が早かったと思う。そんな苦労して入った大学院生活はマジで苦痛。大学院は研究が好きじゃないと行くべきではない。就職のためだと思って2年間の辛抱だと思う事にする。
そして社会人へ←イマココ
社会人は俺の希望だった。大学院は1日の半分以上を研究に費やし、お金を貰うどころか学費を払って(払っていたのは親だが)いる。こんなにしんどいのに。だから早く社会人になりたかった。働いている時間にお金をもらえるというのは学生からしたらとても魅力的だったのだ。それなりの大学院で、就職にも強い学科だったから内定を貰うのに苦労はしなかった。正確には苦労するほど本気で就活をしなかったのだが、そこそこの給料で人も良さそうな会社にサラッと入社した。
しかし、社会人は思っているより大変だった。精神的な辛さが学生時代の比ではない。なぜなら学生時代に魅力的だと感じていた「お金を貰う」=「それなりに成果を出す必要がある」だったから。就活とか仕事の話は、またどこかで詳しく書こうかなと思っている。
というわけで今は社会人2年目だが、辞めたいという気持ちを抱えながら毎日元気に(?)出社している。宝くじで10億ゲットして働かずに暮らしたい。
最後に
まあそんなこんなで今は元気に生きてるし、これからも自分のこととか生活に役立つこととか色々書いて人気になりたいっていう小さな野望を抱えながら自己紹介を終える。まだまだ荒削りだから推敲してもっといい文章で自分をまとめたい。